初めまして🍀
”役割に潰されない自分をつくる”自信回復プロジェクトを提供しています、心理カウンセラーの【あやぱん】こと渡邊あやかです。
幼少期の対人関係のトラウマから、自分の感覚に自信が持てず、自分の思っていることに蓋をして隠しながら生きてきた私。
学生時代も、自分のことを認められず、自分よりすごい人と比べては、また自信をなくし、ずっと何かに苦しんで生きづらさを感じながら過ごしてきました。
大人になってからも、自信のなさから『やりたいこと』ではなく『お願いされたこと』を仕事にしてきた結果、自分が本当にやりたい事がわからなくなってしまい、好きな事さえもわからなくなってしまいました。
✅自分に自信が持てない
✅ただ人のために走り続けて疲弊する日々
✅自分に自信がないからこそ、人一倍に頑張って完璧にする
✅完璧主義な自分に疲れてしまう
✅頑張っても満たされない感覚
✅他人の目を気にし評価されるために働く日々
✅完璧にできない自分には存在価値がないと思ってしまう
最初は『人のために』と自ら率先して行動していたことですら、いつしか周りからそれが当たり前であるかのように扱われ、心は満たされず、心身ともにどんどん疲弊していく日々。
つらいのに『つらい』『しんどい』と言えない苦しさ。本当に届いて欲しい人に届かない虚しさ。
責任感から役割を全うすることにこだわりすぎた結果、人生初めて「双極性障害のかなり強い”躁うつ病”」と診断され、会社に行けなくなってしまった経験。
そんな私にとって、一番のケア方法は『自分の心と素直に向き合うこと』でした。心理学を学び、哲学を生び、潜在意識や思考パターンに気づき自分を知ることで、つらさ虚しさという感情がほどけていく感覚。
昔の私のように、無意識に自分を焚き付けて頑張れてしまう人へ
突然心が完全に壊れてしまう前に…
人に頼ること、相談すること、カウンセラーを活用することをもっと身近に、手軽に選択していただきたいと思い、カウンセリングルームを立ち上げました。
今の自分を『自分自身が認め』『本来の自分らしさ』を取り戻してイキイキした日々へとサポートができればと思います。あなただけのパーソナルな心の拠り所として、お気軽にご相談いただけると嬉しいです。
ショックと恥ずかしさから本当の気持ちに蓋をする思考の始まり

フェリーの運転手をしていた父と、専業主婦の母に育てられ、2つ上に兄が居るごく普通の家庭で育った私。
兄が幼稚園に通い始めた頃から、母と二人きりの時間を長く過ごし、母自身が習いたかったけど習えなかったピアノを娘にしてほしいという思いから3歳でピアノを習い始めました。
毎朝の日課は、その日の気分でヘアゴムを選んで母が髪を結ってくれる時間。その影響で幼い頃からオシャレに興味があり、物心着く頃には洋服は自分で決めて着るような子でした。
しかしある日、近所のお友達と遊ぶときに頭にカチューシャをつけて出かけ、お友達から「なにそれ変なの」と言われた一言にとても傷つき、家に帰って泣きながら「こんなの要らない!」と言ったことがありました。
自分が良いと思っていたものを、人から変だと笑われたことにショックと恥ずかしさで心が打ち砕かれてしまった経験でした。
その時から「人に笑われたくない」「自分の感覚はおかしいのかもしれない」と、自分に自信が持てなくなり、人目を気にして本当の気持ちに蓋をするようになっていきました。
怒られる恐怖から人の顔色をうかがう癖。嫌なことを続けるストレスで感情コントロール不能な自分

父の転職を機に、母の実家の近くに家族で引っ越すこととなり、それまで過ごしたお友達とお別れすることになった私。
引越し先で小学校に通い始めた頃、周りは皆、幼稚園や保育園を共に過ごした仲良しグループがある中で、一人ポツンと集団生活がスタートしたのでした。
引っ越しを機に、習っていたピアノ教室も引っ越しすることになり、先生が変わりました。これまでの【音を楽しむ教室】から一転【技術と正確性を求められる教室】に変わり、辛くなってしまいました。
それ以降、毎週のピアノの日は、泣きながら「行きたくない!」と訴えたけれど、母はなかなか辞めさせてくれず小学4年生頃までは通い続けたのでした。
行きたくない場所へ毎週行き、好きじゃないから練習もしてなくて怒られる時間が毎週やってくることが本当につらくて、教室へ行くまでの間に、どうやって体調不良になろうか、どうやったらお腹痛くなるのか、熱を出せるのかと…行かなくて良い理由を必死に探す日々。
その頃、地区のお祭りでお神輿かついで法被を着ている子達を見て「私も法被が着たい!」という理由から地域の子供会に入りました。
子供会では毎週末に、フットベースボールの練習。しかし監督がとても怖い人で、私は練習に行くのが怖くて嫌で、ここでもまた毎週「行きたくない!」と言い続けましたが、辞めさせてもらえることはありませんでした。
小学4年生(ピアノを辞めた頃)から本格的にフットベースボールの練習に参加し始め、毎週末の練習もイヤイヤ通う日々。
それでも、練習や試合や大会に応援に来る両親は楽しそうで、両親のために続けているような状態でした。
私は大人に怒られることが怖くて、必死に怒られないように顔色を伺っては、まわりの子に合わせて動く。私にとっては地獄の時間でした。
⚫︎母が望む習い事のピアノ
⚫︎自分が入りたいと言ってしまった子供会
ピアノもフットベースボールもやりたくない。嫌だと言っても辞めさせてもらえない。
自分の意思を両親に受け入れてもらえない苦しさと、言うことを聞かないと褒めてもらえないという事実から、嫌だけど仕方がないんだと自分に言い聞かせました。
続ける苦痛に蓋をしてじっと耐えたいた私は、そのストレスを学校の友達にぶつけるような行動を取るようになりました。
口を効かない、無視をする、不快なことを言う…なぜだかわからない苛立ちが込み上げてきて、感情をコントロールできず目の前に居る友達を傷つけてしまう。
家では何事もなかったかのように生活する。そんな状態が3年間ほど続き、ピアノとフットベースボールどちらも卒業した後の、中学生になった途端に友達に対するそういった態度もピタリと無くなったのでした。
毎週末、両親とドライブに出かける近所の友達が羨ましかった…
私は嫌だと言っても辞めさせてくれない”怒られる場所”に行かないといけないのに…
苦痛も努力もしていない(ように見える)のに両親から愛されている友達を受け入れることができず、誰にも言えず苦しかった…
怒られることに萎縮し自分の存在価値を感じられなくなっていった学生時代。褒められたいという強い承認欲求

中学生になると、ママさんバレーボールをしていた母の影響で、バレーボール部に入部。
ずっと野球をやっていた兄からはソフトボールを勧められたけど『バレーしてくれたらお母さん応援行けて嬉しいな〜』という母の言葉に、また親の喜ぶ顔が見たくて褒められたくてバレーボール部を選択しました。
顧問の先生はとても厳しく、当時はまだ指導の一環で叩かれたり蹴られたりする環境でしたから、子供会のとき同様に、なるべく怒られないように…先生の顔色をうかがいながら過ごしました。
通常、チームスポーツをしているとレギュラーメンバーに入れることは喜ばしいことなはず。でも私にとってはなんの喜びでもありませんでした。
むしろ毎日練習で遊びに行けない縛り、みんなより多く練習させられるしんどさ、練習中は先生に怒られる恐怖、という状況にまた我慢と苦しさを感じていました。
運動できることが唯一の取り柄でしたが、部活で活躍する自分を誇らしく思えたことがなく、自分に興味がありませんでした。
夏休みなど長期の休みには、ただの練習でも観に来る熱心な母。
本当はもっと髪を伸ばしてオシャレをして遊びにいきたい…でもどうせ辞めさせてくれないことはわかっている。続けるしかない…無意識にそう思っていたから今度は『辞めたい』と言わなくなっていました。
ただこの頃から「勉強は苦手」「運動なら得意」という自覚をし始め、高校もスポーツ推薦で行くしか方法がないかも…と考えるようになりました。
そこからバレーボールは進学するために続けるものとして解釈していきました。
そして中学3年生のとき県選抜メンバーに選ばれたのですが、そこで自信をなくす経験がありました。
同じ学校からもう1人選抜メンバーに選ばれていました。私よりも身長が高く、途中からの入部だったのに半年程度でバレーボールを習得し、他校からも注目の存在。
私とその子と二人で選考会に臨んでいたため、どちらかが辛い思いをしないようにと、顧問の先生が「合格にするなら二人一緒に。どちらかを落とすならどちらも落とすように」と選考員へ伝えていたそうです。
合格発表時に顧問の先生からその説明を受け、合格の嬉しさより『私はオマケ合格なんじゃないか』と自信を持てず不安の方が大きくなりました。
そして二人同時に合格したけれど、そこから練習でも試合でも期待されているのは明らかに同じ学校から合格した友達。
私は練習について行くのもやっと。私が出場すると監督・コーチに怒られてばかりで機嫌が悪くなるように感じ、どんどん萎縮していき、練習試合でさえ1日中ほぼ出場することなく終わっていきました。
怒られてばかりで活躍もできない。怒られるのが怖くて試合の出場メンバーに選ばれない方が本当は安心する自分。
でも親が応援に来ているから出場しないと…という期待に応えないといけないという葛藤。
唯一得意としていた運動も通用しない世界で萎縮し『取り柄のない人間だ』と行き場のない気持ちでした。
怒られるたびに自尊心が保てず、泣き崩れ両親に助けを求めるも助けてもらえない喪失感

それでも選抜メンバーに入れたからこそ、スポーツ推薦枠で高校に進学することができ、高校でもバレーボールに集中した3年間を送りました。
年間365日中、364日は練習・試合・遠征・合宿漬けの日々。
ある時、いつものように試合でたくさん怒られ、試合の合間に校外や校庭を永遠に走らされ、またすぐ試合に出ることや、パイプ椅子や灰皿が飛んでくるなど、厳しい指導の日々に心がポキッと折れたことがありました。
観覧に来ていた両親のところまで駆け寄り「もう辞めさせてほしい。もうしたくない。これ以上できない」と膝から崩れ落ちるように泣きながら伝えたことがありました。
無言の両親より先に周りの保護者が「大丈夫。できる。」と駆け寄り、それに背中を押されるように両親も『頑張れ』というだけ。
助けてくれないとわかった時の絶望とどうしていいかわからない無力感で、泣き崩れて当分の間そこから動けませんでした。
とにかく私自身、勉強もできず唯一できた運動で怒られすぎると自尊心が保てない。「自分は何もできない無能な人間だ」と思い逃げたくなる。
ということが、中学時代のオマケ合格の一件を機に、高校生になっても繰り返されていました。
どうしても自分に自信が持てない。どうやって自分の存在価値を見つけていいのかわからない。そんな状態が続きました。
また、助けを求めても助けてもらえなかった両親という存在に、絶対的味方がいなくなったような喪失感で、心にポカンと穴が空いた気分でした。
親元を離れてやっと自分のやりたいことに振り切ったものの『自信のなさ』で逃げの選択

社会人になり地元岡山県でヨガに出会い、ヨガインストラクターを夢見て上京した26歳。
ヨガインストラクターは資格なしで指導することができますが、自信のない私は肩書が欲しくて資格を取ってからインストラクター職に就きたいと考えました。仕事ではヨガスタジオの店舗運営管理をし、休みの日に資格の学校に通い学びを深めました。
資格が取れたらフリーランスでヨガインストラクターになろうと思ってい、それから1年半後に資格取得を達成。
丁度その頃に、職場でスーパーバイザー(店長の上のポジション)として昇格のお話をいただきました。
私は、独立してヨガインストラクター1本でフリーランスになる勇気と、オーディションを受けて合格を勝ち取って仕事を獲得することに対して自信がもてず、打診された昇格の方を選択したのでした。
ここでも、オーディションで人と比べられる環境に対する不安を想像して逃げる選択をとっていました。また中学じだいのオマケ合格のフラッシュバックです。
そしてヨガインストラクターを目指して上京した私は、ヨガ業界で働いてはいたものの、当初の夢を果たせぬまま3年…5年…と、管理職で時が過ぎていきました。
本当は許せないことを笑って流していた2年間。自分では止められなかった頑張りすぎループの果て『躁うつ病』の発症

約7年ヨガ業界で働いた後に、整体事業の部署からオファーをもらい全く無縁だった業界で働くことになりました。
この頃には、ヨガインストラクターとしてフリーランスになるという昔の夢はとっくに消え去り、『やりたいこと』がわからなくなり、求めてられる場所で仕事ができればいいと思っていました。
しかし人の少ない小さな部署。
上司と2人きりマンツーマンの管理体制で、10店舗・60名の整体師をまとめ、業務量は多岐に渡りました。経理、集客、採用、公式LINE運用、設備メンテナンス、店舗運営の指揮、店長育成、店頭キャンペーンのPOP制作からホームページの運用…
上司は、言うことがよく変わり言ったことを覚えていないことも日常茶飯事。その度に進めていた仕事が打ち切りになり、方向性が変わりやり直しになり、部下に説明・説得をして宥める役をし、多岐にわたる仕事にプラスして組織の間で潤滑油の役目を担っていました。
私にとってヨガインストラクターも整体師も、お客様に一番近いポジションだからこそ、笑顔で最高のサービスを提供していて欲しいと言う思いがありました。
だからこそ、方針がコロコロと変わってしまう上司に振り回されて【本来のパフォーマンスが提供できなくなるのは避けたい】と勝手な正義感に駆られ、摩擦が起きそうな方針転換には即座に間に入り、私の口から説明・説得したり、宥めるという役回りになりました。
上司には、タイミングを見て意見するときは意見してきましたが、人を変えることはできません。私の意見は微々たるもので、私が潤滑油でいるループから抜け出せなくなっていったのでした。
給与に関わる評価は、採用、集客などの通常業務のみ。しかし私の潤滑油としての稼働時間はどんどん大きくなり…感謝されるけど仕事は増える一方、給与が上がらない、それで会社が回っているからどんどん横暴になる上司。
それでも『できない、やりたいくない』と言って人に迷惑をかけたくない。できないと思われたくないから誰よりも完璧を求めて、必死に仕事をしました。そうしているうちに、段々と期日管理も提出書類も完璧にこなすことでしか、自分を認めてあげられなくなっていったのでした。
自分の業務をしながら、別の役目も果たす。最初はみんなのためにと思って勝手に始めた行動なのに、いつしか誰のために頑張っているのかもわからなくなって、朝目覚めてすぐ「今日も仕事か、、、行きたくない」と、声に出して呟くのが平日の日課になっていました。
この日課が半年以上経過した頃、今までなら上司の言動行動を笑って流してきた私が、上司の言動行動を笑って流すことができなくなり、抑えきれない感情が怒りとして出てくるようになっていきました。
私の一番大きな怒りの沸点は、店長就任を目指していたスタッフに対して、これまで散々褒め、店長就任を認めていたのに、就任1週間前に突然「店長就任のイメージが湧かない」と言い始めたことでした。何か重大なミスがあったわけでもない中、突然の言葉。
キャリアの変化は、給与も仕事内容も変わるため人の人生関わる大切なことだと思っている私にとって、その言動でスタッフの人生まで振り回してしまう可能性に直面し『これまで散々承認していたのにこのタイミングで否定?もういい加減にしてほしい』という、半ば呆れと絶望で怒りが込み上げてきたのでした。
いつも上司の言動行動に振り回されてきた私ですが、自分と同じことを自分の部下にされると思った途端に許せない気持ちでいっぱいになりました。
自分は2年間耐えていることなのに…このとき初めて『私、今まで本当は許せないことを笑って流していたんだ』と気づき、頑張る意味を見失ったような喪失感が湧きました。
この数日後、いつも通り憂鬱な朝の支度を終え、通勤電車に乗ったとき突然涙が止まらなくなってしまいました。
通勤ラッシュの時間帯で、混雑している車内で止まらない涙は頬をつたい、鼻を啜る音で、周りの人がこちらを見ないように下を向いてハンカチで顔を覆って耐えました。
乗り換えのタイミングで電車を降りた時、涙が止まるまで駅のホームで休もうとしたけれど1時間経てども涙が止まらず動けなくなってしまいました。
その日を堺に、数日間1日中、涙が止まらず、辛かったこと・納得できなかったこと・笑って流したけど本当は理解できていなかった言葉たちがフラッシュバックしてまた涙が溢れる、と言う日々が始まりました。
自分ではどうすることもできず、初めて心療内科に行き、もらった診断結果は、かなり強い双極性障害のある躁うつ病でした。
まさか自分が心の病気になるなんて…
でもお医者さんの言われることが全て当たっていて、仕事のある平日は眠れない、眠れていない割に仕事中は食事を忘れるほどの集中力がある、家に帰ると何もする気がなくなる、イライラすることが多い、大勢の人前に立って話すと緊張してしまう、休みの日になるとベットから出れず動けなくなる。
など覚えているものだけでも、これらが仰る通りの現象でした。
この診断を受け、人生で初めて休職をすることになりました。
本気で自分と向き合って【やりたい事】の本質に気づいた瞬間、カウンセラーという選択肢が見えた

休職に入るまで、「会社のために」「お店のために」「上司のために」「部下のために」と、ずっと誰かのために走り続けていた私。
急に仕事ができなくなってしまった自分を、最初は「何もできない自分」「唯一頑張れていた仕事すらできなくなってしまった自分」と存在価値がなくなってしまったと思い込み、絶望で涙が止まらない日々を過ごしました。
1週間ほど経った頃『今まで頑張り過ぎてたんだから休んでいいんだよ』と昔一緒に働いていた元同僚から、私の存在を承認してくれるような言葉をたくさんかけてもらい、少しずつ休職というお休みを前向きに捉えるようになれました。
そこから私は、昔好きだったドラマを見たり、本を読んだり、幼少期から今までの自分の人生グラフを書き出し「自分の好きだったこと」「自分のこれまでの心の傾向」「なぜ今自分は仕事に行けなくなってしまったのか」1つ1つ書き出して整理しながら自分と向き合い始めました。
人生グラフの中で出てきた自分は【26歳までは常に好きなこと・やりたいことが明確にあり迷いなく行動していたこと】そして【それ以降は稼いで生活するのにやっとで仕事に追われ”求められることに必死で取り組む”毎日だったこと】。
いつの間にか、自分軸の人生から他人軸の人生に変化してしまっていたことに気づけたのでした。
そして私がヨガインストラクターを目指したきっかけが、ただのダイエット目的ではなく、生まれつき全身ひどいアトピーに悩まされていた私がヨガに出会い、呼吸や思考を整えたことで全身のアトピーがほとんどなくなりストレスを溜め込まない日々の大切さを身をもって経験したことでした。
自分を受け入れられず生きづらい人に『そのままの自分で良い』と受け入れることで豊かになることを伝えたい、そして、そうやって自分を受け入れる安心できる空間を提供したいと思い、ヨガインストラクターを志したことを思い出したのです。
しかしその思いに立ち返った時は、躁うつ病と向き合いながらの日々だったためヨガなど運動を取り入れる気持ちにはなれない現状。
今の私のように行き場のない苦しみを1人で抱える人を助けられる方法がないか…と動き出しました。
そこで出会ったのがオンライン心理カウンセラーという選択でした。
出会った当初は、休職1ヶ月目で仕事のことを思い出すとまた涙が止まらなくなる日々の真っ最中。
そんな中、カウンセラーの無料セミナーで言われた言葉が『ピンチはチャンス』でした。
ピンチの真っ最中な私にとっては正直『こんな状況がチャンスだなんで経験してないから言えるんだ。綺麗事だ。』とすぐに受け入れることができませんでした。
でも、私が本当にやりたいことは【今の私みたいに1人で苦しむ人を救いたい。自分を受け入れることができる安心な空間を提供したい】だと思い返した瞬間『チャンスにしないと…チャンスに変えるんだ…』と心の底から静かに炎が燃えるような感覚になったのです。
26歳で上京し、36歳まで仕事一筋で走ってきた私。
独身一人暮らしで仕事もできず収入ゼロになってしまった現状。
家賃・光熱費・食費…生きているだけでお金がかかる不安。
人と会うことも嫌で家に引きこもり続けた約3ヶ月。
このピンチをチャンスに変える覚悟の決め手は【本来の自分のやりたかったこと】【自分の想い】に気づき、約10年ぶりに「やりたいこと」に目覚めたから。
ずっと人のためにと頑張ってきたけれど、自分の心の声がわかっていないと他人軸の人生になっていつの間にかしんどくなる。
これまで仕事がしんどかったのも、休職してしまったのも【自分の心の声を無視し続けていた結果だったんだ】と自分を大切にできていなかったことの重大さに気づきました。

この自分の経験を、人のために生かしていきたい。そう思ったとき『なんとしてでも心理カウンセラーになりたい』『多くの人をサポートしたい』その想いで再起することができました。
全ては『自分を受け入れ、大切にすることから始まる』今では心からそう思って自己受容し、自分自身にハナマルをあげる日々です。
そうすると自然と人に左右されなくなり、自分の意思を持って選択する人生を送れています。
そしてこれまで、会社でも組織の潤滑油として多くのスタッフと面談セッションを1000回以上行ってきた経験を活かしたいという思い。
数多くの面談の中で、仕事でもプライベートでも行動ができない本当の理由の多くは、過去のトラウマからくる心のブロックだと気づき、心のブロック解除と行動習慣のお手伝いを行ってきました。
そこで、個人の成績をぐんぐん伸ばすスタッフを見て【仕事で成績が出せる自信】と、なにより【できる自分に出会って人生が180度好転し楽しそうな姿】に触れていた私の経験が、カウンセラーとしてもっともっと多くの人のサポートができたら、これ以上の幸せはないと思いました。
昔の私のように責任感から役割を優先し続け疲弊し、本当の自分が何を望んでいるのか見失っている方へ、あなただけのパーソナルな心の拠り所として、このカウンセリングルームを活用していただきたいです。
そして、心が壊れてしまう前に【頑張りすぎループから解放され、本来の自分を取り戻す時間】を一緒に過ごしませんか?
ぜひお気軽に初回カウンセリングのご連絡をいただければ幸いです🌸



